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映画「アマデウス」ディレクターズカットの感想文|サリエリ毒殺説

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子供の頃に観て衝撃だった映画「アマデウス」をめっちゃ久々に観賞しました。

今回観たのはオリジナル版ではなくディレクターズカット版。オリジナルではカットされた20分も含めて、全部で3時間あります。

子供の頃にこの映画を観た時は、モーツァルトのキャラクターと死のシーンが強烈だった印象で、ビデオテープで何度も観た記憶があります。

やはり子供の頃の映画の印象とは違い、サリエリの苦悩の重みがよくわかりました。子供だとサリエリの気持ちはわからないかもね。そして、独特な余韻が探究心を刺激しました。

子供の時以上に強烈な印象が残った映画でした。気持ちがずっしり重たくなってます。

映画「アマデウス」ディレクターズカットを観た感想文を書きます。私は映画通ではありませんので、素人の感想文です。ネタバレするので、これからこの映画を観ようと思ってる方は注意してね。

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映画「アマデウス」はフィクション

映画「アマデウス」は、ピーター・シェーファーによる戯曲「アマデウス」が元になったフィクション映画です。

もちろん伝記に基づいた部分もあるけれど、映画の核となる「サリエリがモーツァルトを死に追いやった」は伝記などで伝えられる事実と異なります。

ただ100%の事実は誰にもわからないから、事実とは異なる「はず」ということです。

創作シーンも出てきます。

  • サリエリが初めてモーツァルトと対面した時、サリエリが作曲した「歓迎のマーチ」をモーツァルトがその場で編曲する
  • モーツァルトの妻コンスタンツェがサリエリにモーツァルトの仕事を頼みにいき、見返りを求められる
  • サリエリが手下を雇い、お手伝いとしてモーツァルトの家に送る

この辺りは、事実にはない描写だろうと思うし

  • サリエリが黒マスクを被ってモーツァルトにレクイエムの制作を依頼しにいく
  • オペラ「魔笛」の上演中にモーツァルトが倒れたのでサリエリが彼を家まで運び、徹夜で「レクイエム」の創作を手伝う
  • 妻コンスタンツェが戻ってきて、サリエリに出ていくよう言っているうちにモーツァルトが亡くなる

これは伝記で書かれていることを元にしているとは言え、事実とは異なります。

重要な事実との違いはやはり、サリエリがモーツァルトを死に追いやった、モーツァルトを殺したのではないかと思わせる物語の進み方です。

サリエリがこの映画のことを知ったら「事実と違う!」と怒るのではないかなと思うくらい、サリエリがモーツァルトに歪んだ嫉妬を抱き、神を恨んで復讐に苦悩する姿が描かれています。

フィクションという前提でも、フィクションという前提だからこそ?かなり興味深く、複雑な気持ちで観賞することができました。

映画「アマデウス」1984年に公開され、アカデミー賞で作品賞、主演男優賞、監督賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞の8部門を受賞。

主演男優賞にはサリエリ役のF・マーリー・エイブラハムと、モーツァルト役のトム・ハルスがノミネートされ、サリエリ役のF・マーリー・エイブラハムは最優秀主演男優賞を獲得しています。

奇抜で自信家で屈託がないモーツァルトを演じたトム・ハルス。愛すべきモーツァルト像が素晴らしかった。

無神経で下品でだらしないモーツァルトなんだけど、憎めないキャラクターだったのはトム・ハルスの演技力の賜物です。実際のモーツァルトもそんなキャラだったのではないかと思いました。

ピアノをかなり練習して、演奏シーンは代演なしだったそうです。違和感が全くなくてすごい。

そして、嫉妬と愛が入り混じった複雑な感情を演じ切ったサリエリ役のF・マーリー・エイブラハムに関しては、見事としか言いようがありません。

特に老年のサリエリが精神病院で神父に語る時の目の演技が圧巻。モーツァルトの死を話し終えた後のシーンの表情は、なんとも言えない気味悪さがあります。

現実でも毒殺説が流れたサリエリ

現代においてモーツァルトを死に追いやったという創作話をされてしまうサリエリですが、サリエリが生きていた時代にもモーツァルトを毒殺したのではないかという噂が流れました。

サリエリ本人は毒殺説の噂に長い間苦しんだそうです。

弟子のモシェレスにモーツァルトを殺していないと伝えたのに逆に怪しまれ「殺したに違いない」と日記に書かれ、ロッシーニには「殺したんですか?」と面と向かって聞かれ、ベートーヴェンも日記にサリエリ毒殺説に対しての懐疑的な文章を残しているそうです。

ロッシーニは能天気なイメージだから直接聞いちゃいそうな感じもするけど、教え子たちにも疑われて、サリエリは傷ついたことでしょう。

現実世界でも毒殺説を流され、後世ではそれをモチーフにした映画が作られ、サリエリかわいそうやなと思ってしまったし、名誉が傷つけられているような気もしないでもないけど…

でもこの映画でサリエリを知った人も多く、サリエリの作品や指導者としての功績(シューベルト、ベートーヴェン、リストなど有名作曲家を育てた)も改めて注目されることになりました。

アマデウス症候群

「バナナフィッシュ」という漫画では、「アマデウス症候群」という言葉が出てくるそうです。

「アマデウス症候群」とは、映画「アマデウス」でサリエリがモーツァルトに抱いたような感情を持つことらしい。

つまり愛と憎しみが一体となったもの。相手に憧れを抱きすぎて、愛と同時に妬みや恨みを持ってしまうような複雑な感情が「アマデウス症候群」なのだそうです。

映画を通してそんな造語も生まれていたとは。

神への復讐

映画はサリエリが自殺を図り、精神病院に入院するところから始まります。

その精神病院に神父がやってきて、サリエリに懺悔するよう伝えます。「私を誰だか知ってるか?」と聞いたサリエリに対し、「神の前では人は皆同じ」と言われた時に目の色が変わるサリエリ。

神への復讐を実行した男サリエリが、神に仕える神父に神の不公平さと理不尽さ、冷酷さを語るというなんという皮肉。

サリエリは初めはモーツァルト自身に嫌悪感を抱きます。

モーツァルトと初めて会った時、自分が作った「歓迎のマーチ」をモーツァルトが1度聴いただけで覚えてしまい、さらには目の前で改良編曲させられてしまうという屈辱を受けた時の、サリエリの表情は苦々しさの極み。

モーツァルトの才能を深く感じていくにつれ、怒りや憎しみの矛先はモーツァルトではなく神になっています。

妻コンスタンツェが持ってきたモーツァルトの楽譜を見た時のサリエリの表情、F・マーリー・エイブラハムの演技力には脱帽。

モーツァルトの奇跡の音楽に触れたことへの感動と同時に、この天才的な才能をモーツァルトに与えたことに対する神への恐ろしいほどの怒り。ここから神が敵になりました。

私はクリスチャンではなく、かと言って無神論者でもなく、お願いする時や困った時に抽象的な「神」に拝む無宗教な人間ですが、怒りの矛先が相手ではなく神に向けられる気持ちはわかります。

サリエリのモーツァルトに対する憧れと愛

サリエリはモーツァルトの仕事を妨害します。現実でもモーツァルトはサリエリに仕事を妨害されたと手紙などに残しているから、これは本当だった可能性があります。

ライバルの仕事を邪魔するのは現代でもよくあることだし、芸術の世界だとより顕著にその傾向はありそうです。

映画の中のサリエリはモーツァルトの音楽の魅力に完全に取り憑かれており、彼に仕事がいかないように企てつつも、彼のオペラは全部見に行くと言うほどの熱狂的ファン。

モーツァルトへの嫉妬と神への恨みが増すのに比例するように、モーツァルトの音楽に対しての感嘆と愛が増していく矛盾を抱えているようです。

モーツァルトの音楽が好きで好きでたまらないって感じ。だから苦しさも倍増しちゃうのよね。

ラストの方でレクイエムの創作を手伝ったのは、純粋に彼の音楽ができあがる瞬間を自分も見たかったからではないかなとも思う。

モーツァルトが口で音楽を伝え、サリエリが楽譜に書き写しながら最高傑作とも言われる「レクイエム」を創っていくシーンは映画の見どころの一つです。

このシーン何度見直したことか。「レクイエム」がずっと頭から離れないです。

映画ではサリエリはモーツァルトを毒殺していない?

戯曲「アマデウス」はサリエリがモーツァルトを毒殺したと語るという設定らしいですが、映画「アマデウス」の中ではサリエリが明確にモーツァルトを毒殺したとか、モーツァルトに手を下した描写は出てきません。

過去を回想する精神病院のシーンでもモーツァルトの死への関わりについて明言はしておらず、「怖い考えが思いついた」「神に復讐する時が来た」など抽象的な表現で語られるんですよね。「実際にこの手で殺すとなると難しい」とも言っています。

「神はモーツァルトを殺し、私には責め苦を与えた」

ラストシーンではサリエリが精神病院の患者たちに微笑みながら「罪を赦そう」と諭します。サリエリにとっての「罪」とは何なのか。

天才モーツァルトをこの世からなくす原因を作ってしまったこと?

神に復讐しようとしたことへの究極の罪悪感?

神への復讐をやり遂げたつもりでいながら、最後まで神に捉われている姿も印象的でした。ラストシーンのサリエリの微笑みはすごく気になった。

個人的にはサリエリはモーツァルトを毒殺していないと思います。映画の中でも。

あんなにモーツァルトの音楽の魅力に取り憑かれた人が、目の前のその音楽が生まれる瞬間を自らの手でなくしてしまうはずがないんじゃないかなと。

モーツァルトの奇跡の音楽をもっとも理解しているのは、サリエリだったのだから。

映画中の音楽

映画「アマデウス」の中ではモーツァルトの楽曲がふんだんに使われていて、オペラのシーンは尺も長めなのでオペラを垣間見てる感じで楽しめます。

こうやって映画のサントラを聴いていると、モーツァルトの曲って本当に誰もが知ってたり、一度は聴いたことがある曲ばかりだなと改めて思いました。

会話や歌のシーンから次のオペラのシーンへ繋がる効果もおもしろい。

当時の大衆で流行した「ジングシュピール」がどんな感じなのかが知ることができたのも興味深かったです。

ものすごく重たい話の後、エンドロールにつながるピアノ協奏曲第20番第2楽章がなんとも秀逸でした。

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オリジナル版とディレクターズカット版の違い

映画「アマデウス」にはオリジナル版と、20分長いディレクターズカット版があります。

オリジナルと比較したディレクターズカットの違いは

  • オリジナル版でカットされた20分が入っている
  • ドルビーデジタルサウンドになってる
  • 監督と脚本家の音声解説がある
  • インタビュー含むメイキング映像がある

音質がかなり改善されているようなので、音楽映画としてより楽しめる内容になっています。

私はDVDのレンタルだったのでメイキング映像のディスクBが入ってなかったのだけど(かなり残念)、ブルーレイ版のレンタル、または購入すればメイキング映像とインタビューも見られます。

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監督と脚本家の音声解説

監督ミロス・フォアマンと戯曲の作者であり脚本家であるピーター・シェーファーが、本編を全て見ながら解説する音声がついています。

この2人は現場で意見の相違が多かったのか、音声解説でも最後に「また一緒に仕事をするなら衝突を覚悟しよう」と言っています。同志ってやつですかね。

音声解説は本編に2人の会話が乗っかる形で本編と同じ長さ、つまり3時間あるから長いのだけど、かなり興味深いのでこちらも観てみることをおすすめします。

私は先に映画を観て上の感想文を書いてから、こちらの音声解説を見ました。

これはプラハのどこで撮った(撮影地はプラハが多かったらしい)とか、このシーンの食べ物がおいしかったとか、映画制作の舞台裏や逸話を解説してくれておもしろいです。

サリエリ役のF・マーリー・エイブラハムは初めは現場監督役(モーツァルトを否定する嫌なやつ)でオーディションを受けに来たけど、彼こそサリエリだと採用した。

コンスタンツェ役は初めは別の女性だったけど撮影数日前に怪我をして、急遽オーディションしてエリザベス・ベリッジになった。

配役の話はいろいろびっくり。

コンスタンツェは実際はとても浪費家の妻だったようですが、映画ではとてもキュートに描かれていて、エリザベス・ベリッジは妻コンスタンツェを魅力的に演じていると思います。

サリエリの使用人が仮面を買いに来るシーンの後に、「視聴者がわかるようにサリエリの顔を入れるべきだった」と監督は言ってたけど、使用人役の人は特徴的な顔立ちだったので、サリエリが黒マスクになりすましたんだなということは視聴者はわかると思う。

モーツァルトに「魔笛」の作曲を依頼したシカネーダー役の役者が、実は音痴だったという話はおもしろかったです。

監督がもしもう一度ラストシーンを撮影する機会があるとしたら、サリエリが「私の曲はもう誰も聴いてくれない、対して彼(モーツァルト)は」のセリフの後にモーツァルトの楽曲を流し、音楽を主役にして終わりにすると言っていました。

実際の映画の終わり方より、こちらの監督が言っていた終わり方の方が個人的には好きかもです。

サリエリにとって伝えたい部分が何なのか(モーツァルトの音楽の素晴らしさ、自分の音楽が忘れられたことへの虚しさ、神へ復讐したことなど)によってラストシーンの好みは分かれそう。

オリジナルでカットされたシーン

2人の解説を見ているとどのシーンがカットされたのかよくわかります。

コンスタンツェが夜にサリエリを再訪するシーン
モーツァルトがサリエリに借金のお願いをするシーン
紹介してもらったお金持ちの商品の家でレッスンするシーン
後に変わり果てた姿でその商人に借金をお願いに行くシーン

などがカットされているようです。

モーツァルトの妻コンスタンツェがサリエリを夜に再訪するシーンは、あった方が良いのではと思いました。

「魔笛」の上演中にモーツァルトが倒れたので自宅に運び、レクイエムの作曲を手伝っていたサリエリに対し、コンスタンツェが異様に冷たかったことの理由につながるシーン。脚本家のピーター氏も後半のセリフが生きてくるシーンと言ってました。

かつて指導を断ったお金持ちの家に行くシーンは、モーツァルトの変わり果てた姿が心配でかわいそうになりました。落ちぶれた感じはかなり伝わったので、効果的なシーンだったようにも思います。

映画「アマデウス」を観る方法

映画「アマデウス」はAmazon Prime Videoでは観られなくて(お住まいの国では観られないとのこと)U-NEXTのようなオンデマンド配信でも見つからなかったので、ゲオ宅配レンタルでDVDをレンタルしました。

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久々に見直したい音楽系の映画があたので、いろいろレンタルしてこれから観るのが楽しみ。

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神は切望は与えるけど才能は与えない

映画「アマデウス」は観るのも体力がいる映画です。衝撃が強くて、しばらく重たい余韻に捉われそう。

映画中のサリエリのセリフで印象に残っているものがあります。

「神は熱い欲求(を与える)だけで才能は与えてくださらない」

というセリフです。

自分が凡人と気づいてしまった人

この世には努力や信念だけではどうにもならない世界があることを知ってしまった人

にはこの言葉は真理であり、複雑な感情を抱き、記憶を呼び起こすものであるのではないでしょうか。私はそうです。

現実世界でサリエリとモーツァルトがどのようなライバル関係だったのか、それは想像するしかありません。

200年以上経った今、自分たちの関係が映画になっていると知って、2人で天国でマスカルポーネのスイーツ食べてくれるといいな。どうかな。

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引きこもり中のゆるい推し生活を綴ります。スペインのセビージャでフラメンコ留学してました。趣味でピアノを習っていたのは4歳〜16歳くらいまで。素人です。話す言...

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